特集・家庭教育講演会

教育評論家 川越淑江


講演する川越淑江氏
明るい社会づくりは明るい家庭から 

よい子が育つ家庭

 平和活動とか社会活動とかいっている人がいますが、平和というものは、口で理論的に理屈を知っていても成り立つものではないのです。明るい社会をつくる運動も、明るい社会をつくりましょうと言ってもできないのです。

 社会を構成しているのが私たち一人ひとりであり、私たちが営んでいる家庭なのです。ですから一軒一軒の家庭が幸せな家庭を築くことが、しいては明るい社会をつくることであり平和な日本を作ることなのです。
そこで今日は、明るい家庭を築くためにはどのようにしたらいいか、具体的にどうしたらいいかということでお話をさせていただきたいと思います。
私たちは、家庭生活をしているわけですが、いったい家庭というのは一体どんな意義を持っているのかということです。

 家庭家庭といいますが、家庭の意義はなにかということです。私たちが明るい家庭を築くための家庭とは一体どんなものかということです。
ひとつには「心身を休養する場所」だということです。
もう一つ、生活というのは昨日から今日、今日から明日というようにずうっと継続させていくものですから、家庭は「明日の社会を築くためのエネルギーを蓄える場所」でもあるわけです。

 家庭は生活の前進と向上の場所でもあるわけです。よく皆さん、前進また前進といいますが、普通はそれで良いかも知れませんが、私は推奨したいのです。前進、向上、前進、向上と階段を上がっていくように。前進、前進また前進だと、ただ前に進むだけです。昨日よりも今日、今日よりも明日と、私自身が成長していくには前進、向上というように考えていっていただいた方が良いかと思います。
 学生は心身を休養させる場所、明日のエネルギーを蓄える、そして前進と向上の場なのだという、この二つを頭の中においていただければと思います。あとは子どもを教育する場なのだとか、福祉だとかいろいろなこともありますが、ですが今日はその二つだけを入れておいてください。もちろん子どもを教育するということは、人間というのは家庭を中心として「帰巣本能」を持っているのが人間ですので、家庭を中心として生活がなされているわけですから、だから家庭のない人はホームレスといってあんまり良い生活ができないわけですから。だからそういう意味で家庭というのは、重要な役割があるのです。

家庭をダメにする親


ではその重要な役割を果たす、家庭で何が行われなければならないか。今日は、今子どもたちにいろいろな問題がありますけれど、子どもをダメにする親というのが、あるのです、こういうことをしていたら完全にダメにする親というのがいるのです。
子どもをダメにする親というのは、第一に家庭の不調和です。そのひとつは、夫婦仲が悪いということです。夫と妻の仲が悪いということは、子どもがどっちに付いたらいいのか分からずにフラフラしてしまうんです。これはダメです。
家庭の不調和の二つ目は、父親が父親の役割を果たさないことがたくさんあるんです。教育で一番大切なことは厳しさと優しさです。“父は照る、母は涙の露となり、同じ心で育つなでしこ”というんです。
理想は、お父さんの厳しさ、それは太陽です。そしてお母さんは雨、優しさです。照ったり降ったりしながら植物が育つように、お父さんの厳しさとお母さんの優しさで子どもが育つということです。
お父さんの優しさとお母さんの厳しさ、どっちでもいいです。調和が取れていればいいのです。
けれど不調和の場合はダメです。一番ダメなのは二人の母です。照りっぱなしか降りっぱなしということです。
それから三番目は嫁と姑の問題。嫁と姑の仲が悪かったために孫が万引きの常習犯になったケースがあります。
お嫁さんがおばあさんに「孫を甘やかさないでください」ということだったのですが、おばあさんと孫で暗号をつくり、孫がおばあさんをポンポンと肩をたたくと、お小遣いをちょうだいという暗号を二人で作ったわけです。そして孫が中学生になるとおばあさんからもらうお小遣いでは間に合わなくなってしまった。
それで、何がダメかということですが、脳細胞の中に我慢の配線が組み込まれなかったわけです。人間は百五十億の細胞がありますが、生まれてから生活しながらその中に細胞の配線を作るのです。幼児期で六五%、小学校で九五%、あと五%残して大人の生活をして死んでいくのです。その一番大切な時期に、いろいろな思い、物が欲しくてそれが手に入らないと、人の物を盗んででも手に入れなければならないような子どもになっちゃった、今そういう子どもがたくさんいます。いったんそういう子どもになってしまったら直すのは大変なのです。だからそうならないようにちゃんと育てていかなければいけないと思います。

「知情意」のバランス

そこで、子どもを育てるのに一番大切なことは、子どもの持って生まれた能力をバランスよく育てていくということです。子どもの能力とは知的な能力、情的な能力、意的な能力ですが「知情意」と言いますが、この三つの能力をバランスよくとるということです。
知的能力を中心に教育が行われるのが学校教育です。家庭教育はなにかというと、情的能力です。豊かな心の働きをできる子どもに育てるというのが家庭の役割です。勉強のできる子どもに育てるのは家庭の役割ではないのです。そして、意的能力というのは、置かれている位置づけの中でどうやって社会に貢献していくかという意思を育てる、それは社会教育の分野なのです。
ところが今は「知」「情」「意」ではないのです。今は「知」「知」「知」なんです。地域偏重教育というのはそういうことなのです。特に家庭でやらなければならない情的能力の開発がなされていないのです。情的能力が開発されていたらそんなことはありえないのです。

しつけをしない親


そして、挫折する二番目の家庭の不調和は「放任」です。いわゆる躾(しつけ)をしないということです。躾というのは社会生活に適応できる生活上の習慣を身につけさせることなのです。その躾をしないのを、浮浪児というのです。フラフラしているのです、野良犬のようなものです。そして、特にしつけなければならないことは、普通の先生は躾というのは、社会生活に適応できる生活上の習慣だからやってはいけないことをしつける、人に迷惑をかけないように育てるということです。
私はそれでは不十分だと思います。躾というのは形をしつける、つまり立ち居振る舞いをしつけるのと、道義的なしつけと大きく二つに分けて考えられます。そして立ち居振る舞いの躾とは郷に入ったら郷に従えです。ですから標準語にしなくていいのです。方言を日本の地方文化として大事にしてほしいと思います。ただし標準語も使えないと困りますが、それを注意していただきたいと思います。
そして道義的躾というのは、心をしつけていくわけです。それがどういう風にしつけていくかといいますと、積極的な躾と消極的な躾があるのです。消極的な躾というのは人には迷惑をかけないということ。ところが、本当に親がしつけなければならないのは積極的な躾なのです。それは何かといいますと、喜んで人さまのために尽くしたいという心です。人間は生まれたときから他の人のために役に立ちたいという心を持って生まれているのです。それを引き出すのは、本当の意味で人間性の開発が本当の躾だと思います。もちろん人に迷惑をかけるようではいけませんが、持っているものを引き出してあげる、そうすると皆さんのように明るい社会づくり運動を率先してできるようになるのです。

挫折する親のタイプの三つ目ですが、三過剰というのですが、「過剰保護」「過剰干渉」「過剰期待」です。三過剰でほとんどの子どもがダメになると思います。
心というのは形のないものです。その形のないものを子どもに教えていかなければならない。小さいうちは、それを言葉で受け止める能力はありません。そこでどうするかといいますと、母親の感情移入という形しかとれません。「お花きれいね」「ワンワンかわいいねえ」という会話のなかで、情感教育のなかで心を育てていくのです。「暑いね、疲れたね」など感情移入です。そして、豊かな心を育てるということが大事です。フッと自分が何か感じたときに、自分の生命活動も、相手の生命活動も発言できる心が豊かな心です。

 具体的に言いますと、美しいものを見たときに「何てきれいなんでしょうねえ」と言える心です。人の喜びに出会ったら一緒に喜んであげられるというような心です。そして人の悲しみに一緒に悲しんであげられる心です。だからそういう点で素直な心、感謝する心、思いやる心、反省する心とか分かち合う心とか、譲る心、我慢する心とかが豊かな心なのです。そしてその心をどうやって育てていったらいいのかということです。

 特に一番基本になる心は素直な心です。今皆さんの年齢だと学校の先生も親も「素直になれ」と言うと思いますが、(今の親は勉強しろと言うかもしれませんが)昔はよく素直になれと言われました。素直な心が基本だと思います。素直な心がないと、ほかの心がわいてきても成就しないのです。たとえば、お母さんが子どものお菓子を持っていたとして、隣の子が持っていないと思います。そこで、可哀想だから分けてあげなさいと思いやりの心とか優しい心を教えるでしょ。そうすると子どもが、渡そうとした瞬間子どもに欲がでて「ヤダ」となったら、せっかく教えてもらってもダメなんです。その時、お母さんに言われたときに素直にすぐにサッと渡せば、思いやりの心がちゃんと相手に通じるけれども、子どもがご機嫌が悪くてヤダといったらそれで終わりです。素直な心がないとダメです。ほかにも、いつも早く帰ってくるお父さんが、たまに遅くなっても帰ってこないと、お母さんが事故とかいろいろ心配しているにもかかわらず、お父さんが帰ってきたとたんに、「遅かったじゃない」と言うのも、素直に「遅かったから心配した」と素直な心で言えばお父さんも喜んで良いと思うのですが、そう言わないばっかりに、お父さんの方も「うるさい」ということになってしまうんです。ですから素直な心が一番大事です。どんな場合でも忘れないようにしましょう。

 それではそんない大事な素直な心を育てるにはどうしたらいいのか。親が素直でなければダメです。特にご主人に対して素直でなければだめです。素直にするには具体的にどうしたらいいのかと言いますと、「ハイ」と素直に返事ができるようにするということです。「お母さん」と言われたら「ハイ」と言うことです。「エーッ」ということ自体が反抗だと思います。それから用事を聞けばいいと思います。私は呼ばれたら子どもだろうと孫だろうと必ず呼ばれたら「ハイ」と言います。私の家の留守電には「ハイ、川越でございます、只今出掛けて・・云々」と入っています。必ず電話でも「はい、川越でございます」と言っています。それは私が居ないのに電話をかけてくださったそのハイと言う言葉の中に色々な意味が含まれているわけです。ハイ(拝)と言うのはどういう字かと言いますと拝むと書きます。この拝むという、ハイという日本語でこんなに短い言葉で相手の人格を尊重する言葉遣いはないのです。最高に相手の人格を尊重することばです。だからハイという言葉が言えるときは心が素直でないと言えません。だからまず具体的に返事をする。返事をしながら返事の仕方を教えるというのが家庭教育です。そして挨拶をしながら挨拶の仕方を教えるわけです。朝、挨拶を教えるわけです。「おはようございます」と。これも昨夜主人とケンカしていたら朝起きたときに「お父さん、おはようございます」とは面白くないときには言えませんよ。ご飯茶碗を二杯目に出したらひったくられたといった人がいました。ある教育委員会のひとで、私が話した後のお昼の時に、二杯目を出したらケンカをした後だったのでひったくられたと言っていました。じゃあ奥様はまだ直ってなかったのですねと。そうしたら朝おはようございますと先生の方からおっしゃればよかったのにと。男の方から言えるもんかと。やっぱり日常生活の中で男だからとか女だからとか関係なくどちらかがコミュニケーション、先に話せば良いわけですよね。子どもなんかは特にそうですよ、大人は「おはようございます」と言いたくなくても、イントネーションがおかしくても言いますが、子どもは小学生までは言いたくなかったら絶対に言いません。ここからが肝心なところですが、小学生までは心が一つしかありません。中学以上になると「建前」が出てくるんです。心の二重構造というんです。本音と建前が出てくるのですが、小学生までは挨拶をしたくなかったらしないです。それをみればわかります。大人はしたくなくてもしますよ。心にもないことっていうのをやるわけです。でもイントネーションのつけ方で分かるのですが、でもそういうことをするのです。けれど子どもは小学校までは本音ですから、大人も本音で付き合わなければならないんです。チャカしたらいろいろなことをしてはダメなんです。

 次に感謝の心。今、感謝がないですよね、有難うと言われるように、言うように、有難いと思う心が今日の幸せ。有難うございますと。あれはもともとどう書いたかといいますと「有(あ)る難(かた)い」と書いたのです。昔は物がなかったから、あるはずがないのに、あったから有難いと書くんです。ですから昔は有難いですねと言いましたけれど、今、有難いなんて家庭の中で使いますか。あるのが当たり前、なければグチを言うでしょ。だから文句ばかり言うわけです。ですが、自分では何もできない。この世の中は相対的にできていますから、相手がいなければ何もできないわけです。お互いがお互いの立場を支えあっているわけです。だからその代表的な言葉が「おかげさま」という言葉なんです。これは最高の感謝の言葉です。「あなたのおかげさまです」ということです。
ですから皆さんも今日から「有難う」「おかげさまで」という言葉をたくさん使って、川崎の街づくりに、美しい香りをたくさん出していただきたいと思います。グチばかりを言うのではなく、「有難うございます」「おかげさまで」と言って美しい香りを出していただきたいと思います。

 その次に、何かというと相手を思いやる心です。自分の生活経験以外のことはなかなか分からないと思います。だからといって、歳をとった人のことはわからないんじゃ。歳をとった人に対して相手の思いをかけてあげるということが大事なのです。「思い」を「やる」ということです。 
 赤ちゃんが泣いているときにお母さんが、「待たせてしまってごめんなさいね」といっぱいおっぱいを飲んでねと、その時に赤ちゃんの代わりにお母さんが「いただきます」とか、飲み終わったら「ごちそうさま」とか言うわけです。それでコミュニケーション、言葉の使い方が赤ちゃんの中に入るわけです。黙っていないでちゃんと話さなければいけないんです。そして自分が言葉がしゃべれるようになるとちゃんと「いただきます」が言えるようになるんです。

 そしてたとえば、子どもが幼稚園になると外で遊んで転んできたりしますよね。「お母さん、痛いよ」と言ってもお母さんはちょっと見てたいしたことがないと「痛くない、痛くない」と言ったりするわけです。子どもが痛いといっているのにどうして痛くないと言うんですか。「痛かったの〜痛かったと思うわよ」と言うから思いやりが育つんじゃないですか。「痛くない、痛くない」じゃ全然思いやりは育たないです。

 幼稚園の先生が「痛いの痛いの飛んでいけ」と言いますが、それじゃあ思いやりは育たないです。相手が痛いと言っているのなら、痛さを受け入れて「痛かったのね、痛かったと思うよ」と言ってあげましょう。今度はたくましさも入れなければならないわけですから。そこで次はお母さんの出番です。「痛かったと思うけれど、あなたはこれくらいは我慢できるわね」と言うと、必死で我慢しますよ。「やっぱり我慢できた、お利口だね」と言うと心が育ってますから、次からは転んで泣いても家に帰ってきて「お母さん、痛くなかった」と。でも痛くないわけじゃあないんです。我慢するという子どもの心が育つのです。そういった細かいふれあいが今家庭の中でないのです。お父さんが、帰ってきたら「お帰りなさい、お疲れさま」と言えば良いんですよ。子どもが「寒いよ」と言ったら「寒いわね」と言ってあげればいいんです、そして「寒いけれど、あなたは元気だからうれしいわ」と言うんです、「寒いなら、着なさい」とか「エアコン付けたら良いでしょ」とかではないんです。これから夏休みもきます。暑くなるから涼しいうちに勉強しちゃいなさいとかじゃないんです。子どもはたった一言「暑いね」と言っただけなのですから、「暑いわねえ」と言えばいいんですよ。「暑いけれど、あなたは元気だから嬉しいわ」とかまず言うんです。

 それからですよ。今日みたいな日は水遊びしたら楽しいでしょうね、プールでも行ったら楽しいでしょうねと、行ったら良いわ、でも行く前にちょっと日記だけでもつけていったらとか書き取りでもちょっとやっていったらもっと楽だわねと。子どもが学校から帰ってきて「ただいま」と言ったとたんに「宿題は」じゃあ、うんざりしてしまいます。うちの子どもは「おまえんちは良いなあと、ママが毎日いなくてって言われるんだよ。僕は毎日いたほうが良いけれど」と。その子のうちにはいつもお母さんがいてうるさいんですよ。それで、家に帰る前に我が家に寄ってマンガを読んでいくらしいです。自分のうちにはマンガがないので。そのうちは東大出の銀行の支店長さんの家庭でしたが。マンガなど見せずに塾に行かせたりしたんです。我が家はマンガだらけでした。だから別にマンガ見たからどうのということではないんです。読書好きはマンガから始まることがあるうんですよ。
絵本を見て、ひっくり返して見るんです、赤ちゃんなどはひっくり返すことが出来るようになったことが嬉しいのであって読んでなんかいないんです。でもそのうちに絵本を見るようになります。それから1コマのマンガを読むようになり、連続のマンガを読み、文章を読むようになってくるんです。だから順序があるわけで、それを親が分からずにギャンギャン言ったりするわけですから。

 これから注意して欲しいことがありますので聞いてください。怒るときには大きな声で怒るくせに、何か頼むときには優しい声を出すので気持ちが悪いと言うんです。一番嫌なことは宿題、勉強とばかり言うこと。テストが悪いとお小遣いを減らされる、テストとお小遣いは関係ないのに。何か壊しても安いものは叱らないで、少し高いものだと怒鳴られる、物を壊したこと関係ないのに。

 このごろお母さんは他人と比較する、それが○○さんとだけ比較する。私は不公平だと思う。○○さんのいい所だけ言う、それから私の悪いことを並べる、そんなことばかり言うんだったら○○さんみたいな人を生んだらいいじゃないかといいたくなる。
おかあさん、「ボク今日かけっこ一等になった」と言って帰りました。お勝手で仕事をしていたお母さんが「誰が転んだ?」と言いました、僕はショックで立ち上がれませんでした。
これはないですよね、一等になったと言ったら「良かった」と言ってあげるのが思いやりでしょう。
通信簿をもらってきた時です。「おかあさん、ホラ通信簿をもらってきた」と言って渡すと、受け取って黙ってみていました。褒められるかと思っているのに何も言いません。おかあさん、早くなんとか言ってよ、するとお母さんは「たいしたことないね」と言いました。どんなに良いことを言われるかと思ってすぐに帰ってきたのに、がっかりしてしまいました。「もっと上がらないと中学に行ってからはずかしいよ」と言われました。私は「それでもそう簡単には上がらないよ」と言いました。「理屈ばかり言ってないでお父さんに見せてきなさい」と言われたので隣の部屋に行こうとすると、隣の部屋から「早く持って来い。どうせろくな通信簿持ってこないんだから」。
これは夫婦でダブルパンチですよ。子どもの能力を伸ばすには、認めて褒めて喜んで期待をしてあげなければダメなんです。

  僕のお母さんはいつもおにぎりを作っておいてくれる。三角だったり、丸だったり、のりが付いていたり、毎日味が違う。僕は毎日家に誰もいなくてもこのおにぎりを食べるのが楽しみだ。このお母さんは10時から3時まで働いているお母さんなのですが、子どもがその間に帰ってきてしまうことがあるのですが、おやつとしてちゃんと母の心の味を残しているんです。こういう子は非行には走らないです。だからそういう点でお金をポンと置いて、好きなものを食べなさいという親とでは全然違います。
 「お母さん、行ってきます」と言った。お母さんが「気をつけてね」と言った、僕はお母さんの声が校門まで付いて来た。
 たった一言ですよ、それが校門まで付いて来たと言うんです。普通はどうですか?「行ってまいります」「気をつけな」って言いますからね。お母さんから解放されるのが嬉しくて、ほとんどそういう家庭ですよ、この「校門まで付いて来た」なんていうことはすごいことです。

 ある子どもがお母さんが下に子どもが生まれて入院しちゃったんです。それでおばあちゃんが手伝いに来てくれているんだけれどなにしろ寂しくて仕方がないわけです。駅まで行く途中に学校があるので、お父さんと一緒に行くことになった。学校に行くときに手をつないでもらった。いつも授業で手を上げるのが右手なのにこのときは反対の手をあげていたので尋ねると、「今日はお父さんに手をつないでもらったので、この右手をあげてしまうとこのぬくもりがなくなってしまう」と。子どもはそうなんです。大人はそんなこと考えませんよ。だから男親でもそうなんですからましてや女親なんてそうなんです。優しく触れ合えば本当に子どもが伸びていくんですよ、そして思いやりを。
 思いやりの最後です。

 その日は遠足でした。母は工場で働いていますが大怪我をして右手が全然使えませんでした。それなのに朝早くから起きて私のためにお弁当を作ってくれました。お昼にみんなと食べました。皆んなは私のお弁当を見たら笑い転げました。なぜならば、私のお弁当は三角や四角や丸など変な形をしていたからです。左手だけで作ったからです、でもお母さんの作ったおにぎりは誰にも負けませんでした。とても美味しかった。私はお母さんの暖かくて優しい心を食べました。おとなになったらうんと働いてお父さんやお母さんに親孝行をしたいと思いますが、今中学でお父さんやお母さんに親孝行するということはお父さんやお母さんに心配をかけないように勉強することだと思いますので一生懸命に勉強します。
それまではクラスで中くらいの成績だったのですが、これがあってから勉強を始めたからトップクラスになりました。だから勉強なんてやれやれと言ってやるものではありません。このお母さんは勉強する気持ちを起こさせたわけです。

 他人によっても今思い出しても感謝していることがあります。中学のときにお父さんが亡くなりどうしても新聞配達をしなければならなくなりました。新聞を配って歩く街角である店のおばさんがいつもニコニコして「元気にやりなさいよ、おばさん見ていてあげるから頑張りなさいよ、それに運命は自分が運ぶものなのだよ」とそう呼びかけてくれました。昨日も今朝も、そして明日もと思うとくじけそうな気持ちを取り戻し、明るい気持ちになったのです。僕のような人間のためにいつも声をかける人がいました、とうとうやってみました。おばさんのおかげで僕はぐれないで高校に進学することができました。おばさん、本当に有難う。
他人の思いでも子どもは立ち直れるんですよ、グレそうになったわけですよね。お父さんが亡くなって新聞配達をしなければならなく、やけを起こしたくなる。でもこのおばさんが声をかけることによって立ち直れたわけですよ。ですから思いをかけてあげるということがとても大事なんです。

 反省ということです。間違うのは悪いことではないんです。間違ったことをごまかしたり、うそをついたり認めないことが悪いんです。人間は誰だって間違います。「ごめんなさい」と言えばいいんです。ごめんなさいを言わないで人のせいにして言い張るんです。だからやっぱり人間は何か間違ったら「ごめんなさい」と一言、言うことが大事です。

 私は母に感謝しています。私をごめんなさいと言える子どもに育ててくれたことを感謝しています。私はすぐにごめんなさいって言いますよ。だから人とあまり争うことがありません。だってすぐにごめんなさいと言ったら終わりなんですから。よしんば相手に否があったとしても、それを見抜けなかった私にも問題があるわけで「ごめんね」って言えば「私の方が悪かったわよ」で終わるわけです。どうでもいいことでケンカしているわけですから、どっちかがごめんなさいと反省して、それができるということが大事なことです。
だからうちの息子が「本当に争わないですね」というから、「だってあなたとだって争わなかったじゃない」「でもお父さんとも争わないですよね」「そりゃあそうよ、私は結婚したときにこの人には口ごたえしないと決めたんだから、だからハイとしか言わなかったからケンカにならなかったのよ」
だから家の中では素直な心、感謝する心、反省する心の4つなんです。
おはようございます、感謝する心はありがとうございますです。思いやる、心のオアシス運動です。
どうかこのオアシスを家庭の中で自分ひとりがまずやってください。そして家庭の中でそのオアシスを広げてください。言葉のオアシスではありません、心を育てるオアシス運動です。
    ◇ 相手を思いやる心

 次に大事なことは、相手を思いやる心です。高齢者に対して、相手の思いをかけてあげるということです。「思い」を「やる」ということです。 
 赤ちゃんが泣いているときにお母さんが、「待たせてしまってごめんなさいね」と、いっぱいおっぱいを飲んでねと。その時、赤ちゃんの代わりにお母さんが「いただきます」とか、飲み終わったら「ごちそうさま」とか言うわけです。それで言葉の使い方が赤ちゃんの中に入るわけです。黙っていないでちゃんと話さなければいけないのです。そして自分が言葉をしゃべれるようになると、ちゃんと「いただきます」が言えるようになるのです。
たとえば、子どもが幼稚園になると外で遊んで転んできたりしますよね。「お母さん、痛いよ」と言ってもお母さんはちょっと見てたいしたことがないと「痛くない、痛くない」と言ったりするわけです。子どもが痛いといっているのにどうして痛くないと言うのですか。「痛かったの〜痛かったと思うわよ」と言うから思いやりが育つんじゃないですか。「痛くない、痛くない」じゃ全然思いやりは育たないのです。

 幼稚園の先生が「痛いの痛いの飛んでいけ」と言いますが、それじゃあ思いやりは育たないです。相手が痛いと言っているのなら、痛さを受け入れて「痛かったのね、痛かったと思うよ」と言ってあげましょう。

 今度はたくましさも入れなければならないわけですから。そこでお母さんの出番です。「痛かったと思うけれど、あなたはこれくらい我慢できるわね」と言うと、必死で我慢しますよ。「やっぱり我慢できた、お利口だね」と言うと心が育っていますから、次からは転んで泣いても家に帰ってきて「お母さん、痛くなかった」と。でも痛くないわけじゃあないのです。我慢するという子どもの心が育つのです。そういった細かいふれあいが今家庭の中でないのです。

 お父さんが、帰ってきたら「お帰りなさい、お疲れさま」と言えば良いのですよ。子どもが「寒いよ」と言ったら「寒いわね」と言ってあげればいいんです、そして「寒いけれど、あなたは元気だからうれしいわ」と言うのです、「寒いなら、着なさい」とか「エアコン付けたら良いでしょ」とかではないのです。これから夏休みもきます。暑くなるから涼しいうちに勉強しちゃいなさいとかじゃないのです。子どもはたった一言「暑いね」と言っただけなのですから、「暑いわねえ」と言えばいいんですよ。「暑いけれど、あなたは元気だから嬉しいわ」とか言うのです。
それからですよ。子どもが学校から帰ってきて「ただいま」と言ったとたんに「宿題は」じゃあ、うんざりしてしまいます。うちの子どもは「おまえんちは良いなあ、ママが毎日いなくてって言われるんだよ。僕は毎日いたほうが良いけれど」と。その子のうちにはいつもお母さんがいてうるさいのですよ。それで、家に帰る前に我が家に寄ってマンガを読んでいくらしいです。そのうちは東大出の銀行の支店長さんの家庭でしたが。マンガなど見せずに塾に行かせたりしたんです。我が家はマンガだらけでした。だから別にマンガ見たからどうのということではないんです。読書好きはマンガから始まることがあるんですよ。

 絵本を見て、ひっくり返して見るんです、赤ちゃんなどはひっくり返すことが出来るようになったことが嬉しいのであって読んでなんかいないんです。でもそのうちに絵本を見るようになります。それからひとコマのマンガを読むようになり、連続のマンガを読み、文章を読むようになってくるんです。だから順序があるわけで、それを親が分からずにギャンギャン言ったりするわけです。

 これから注意して欲しいことがありますので聞いてください。怒るときには大きな声で怒るくせに、何か頼むときには優しい声を出すので気持ちが悪いと言うんです。一番嫌なことは宿題、勉強とばかり言うこと。テストが悪いとお小遣いを減らされる、テストとお小遣いは関係ないのに。何か壊しても安いものは叱らないで、少し高いものだと怒鳴られる、物を壊したこと関係ないのに。
おかあさん、「ボク今日かけっこ一等になった」と言って帰りました。お勝手で仕事をしていたお母さんが「誰が転んだの? 」と言いました、僕はショックで立ち上がれませんでした。

 これはないですよね、一等になったと言ったら「良かった」と言ってあげるのが思いやりでしょう。
通信簿をもらってきた時です。「おかあさん、ホラ通信簿をもらってきた」と言って渡すと、受け取って黙ってみていました。褒められるかと思っているのに何も言いません。おかあさん、早くなんとか言ってよ、するとお母さんは「たいしたことないね」と言いました。どんなに良いことを言われるかと思ってすぐに帰ってきたのに、がっかりしてしまいました。「もっと上がらないと中学に行ってからはずかしいよ」と言われました。私は「それでもそう簡単には上がらないよ」と言いました。「理屈ばかり言ってないでお父さんに見せてきなさい」と言われたので隣の部屋に行こうとすると、隣の部屋から「早く持って来い。どうせろくな通信簿持ってこないんだから」。
これは夫婦でダブルパンチですよ。子どもの能力を伸ばすには、認めて褒めて喜んで期待をしてあげなければダメなのです。


 ◇ 母のこころの味


 僕のお母さんはいつもおにぎりを作っておいてくれる。三角だったり、丸だったり、のりが付いていたり、毎日味が違う。僕は毎日家に誰もいなくてもこのおにぎりを食べるのが楽しみだ。このお母さんは10時から3時まで働いているお母さんなのですが、子どもがその間に帰ってきてしまうことがあるのですが、おやつとしてちゃんと母の心の味を残しているんです。こういう子は非行には走らないです。だからそういう点でお金をポンと置いて、好きなものを食べなさいという親とでは全然違います。
 「お母さん、行ってきます」と言った。お母さんが「気をつけてね」と言った、僕はお母さんの声が校門まで付いて来た。
 たった一言ですよ、それが校門まで付いて来たと言うんです。普通はどうですか?「行ってまいります」「気をつけな」って言いますからね。お母さんから解放されるのが嬉しくて、ほとんどそういう家庭ですよ、この「校門まで付いて来た」なんていうことはすごいことです。


 ◇ 父親の手のぬくもり

 ある子どもがお母さんが下に子どもが生まれて入院しちゃったんです。それでおばあちゃんが手伝いに来てくれているんだけれどなにしろ寂しくて仕方がないわけです。駅まで行く途中に学校があるので、お父さんと一緒に行くことになった。学校に行くときに手をつないでもらった。いつも授業で手を上げるのが右手なのにこのときは反対の手をあげていたので尋ねると、「今日はお父さんに手をつないでもらったので、この右手をあげてしまうとこのぬくもりがなくなってしまう」と。子どもはそうなんです。大人はそんなこと考えませんよ。だから男親でもそうなんですからましてや女親なんてそうなんです。優しく触れ合えば本当に子どもが伸びていくんですよ、そして思いやりを。

 思いやりの最後です。
その日は遠足でした。母は工場で働いていますが大怪我をして右手が全然使えませんでした。それなのに朝早くから起きて私のためにお弁当を作ってくれました。お昼にみんなと食べました。皆んなは私のお弁当を見たら笑い転げました。なぜならば、私のお弁当は三角や四角や丸など変な形をしていたからです。左手だけで作ったからです、でもお母さんの作ったおにぎりは誰にも負けませんでした。とても美味しかった。私はお母さんの暖かくて優しい心を食べました。おとなになったらうんと働いてお父さんやお母さんに親孝行をしたいと思いますが、今中学でお父さんやお母さんに親孝行するということはお父さんやお母さんに心配をかけないように勉強することだと思いますので一生懸命に勉強します。
それまではクラスで中くらいの成績だったのですが、これがあってから勉強を始めたからトップクラスになりました。だから勉強なんてやれやれと言ってやるものではありません。このお母さんは勉強する気持ちを起こさせたわけです。

 他人によっても今思い出しても感謝していることがあります。中学のときにお父さんが亡くなりどうしても新聞配達をしなければならなくなりました。新聞を配って歩く街角である店のおばさんがいつもニコニコして「元気にやりなさいよ、おばさん見ていてあげるから頑張りなさいよ、それに運命は自分が運ぶものなのだよ」とそう呼びかけてくれました。昨日も今朝も、そして明日もと思うとくじけそうな気持ちを取り戻し、明るい気持ちになったのです。僕のような人間のためにいつも声をかける人がいました、とうとうやってみました。おばさんのおかげで僕はぐれないで高校に進学することができました。おばさん、本当に有難う。

 他人の思いでも子どもは立ち直れるんですよ、グレそうになったわけですよね。お父さんが亡くなって新聞配達をしなければならなく、やけを起こしたくなる。でもこのおばさんが声をかけることによって立ち直れたわけですよ。ですから思いをかけてあげるということがとても大事なんです。

◇ ごめんなさいの一言


 反省ということです。間違うのは悪いことではないんです。間違ったことをごまかしたり、うそをついたり認めないことが悪いんです。人間は誰だって間違います。「ごめんなさい」と言えばいいんです。ごめんなさいを言わないで人のせいにして言い張るんです。だからやっぱり人間は何か間違ったら「ごめんなさい」と一言、言うことが大事です。

 私は母に感謝しています。私をごめんなさいと言える子どもに育ててくれたことを感謝しています。私はすぐにごめんなさいって言いますよ。だから人とあまり争うことがありません。だってすぐにごめんなさいと言ったら終わりなんですから。よしんば相手に否があったとしても、それを見抜けなかった私にも問題があるわけで「ごめんね」って言えば「私の方が悪かったわよ」で終わるわけです。どうでもいいことでケンカしているわけですから、どっちかがごめんなさいと反省して、それができるということが大事なことです。

 だからうちの息子が「本当に争わないですね」というから、「だってあなたとだって争わなかったじゃない」「でもお父さんとも争わないですよね」「そりゃあそうよ、私は結婚したときにこの人には口ごたえしないと決めたんだから、だからハイとしか言わなかったからケンカにならなかったのよ」
だから家の中では素直な心、感謝する心、反省する心の4つなんです。
おはようございます、感謝する心はありがとうございますです。思いやる、心のオアシス運動です。
どうかこのオアシスを家庭の中で自分ひとりがまずやってください。そして家庭の中でそのオアシスを広げてください。言葉のオアシスではありません、心を育てるオアシス運動です。   (おわり)

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