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教育相談 このページでは、多摩川新聞紙上にて連載している「教育相談」のテキストをまとめております。 「ちょっとだけ遠回りしたね」 コミュニケーションが苦手のPさん 不登校の学校復帰 Pさんの母親からNPO教育活動総合サポートセンターに電話があったのは、10月下旬頃でした。Pさんは中学に入学して1週間は学校に行きましたが、それ以来、学校に行かなくなったそうです。Pさんのお姉さんは中学3年生ですが、去年、中学2年生の10月頃から学校に行かなくなったそです。 小学校時代のPさんは運動が得意で活発な子どもだったそうで、連合運動会のリレー選手になりました。中学に入学して友達に「いじめ」にあったこともなく、不登校になった原因が分からないと、電話で、途方に暮れる母親の声が悲しく伝わってきました。 一週間後、Pさんが母親と一緒にNPO事務所に来ました。お姉さんも一緒に来ました。お姉さんは高校進学の希望が強く、NPOの先生と勉強についての話し合いを進めました。Pさんは表情が硬く、話しかけると応えますが、学習には乗り気がありませんでした。NPOでは、学習指導担当と適応指導(心のケア)担当が相談し、Pさんの堅く閉ざした心を拓くことに重点をおいた指導に心がけることにしました。Pさんと自然に接するには、教育相談を数多く実施するより、学習指導(一緒に学習する支援活動)で会話の機会を多くし穏やかに過ごすことに心がけました。 Pさんはコミュニケーションづくりが苦手なので、休憩時間にほかの仲間との会話の機会を増やすように心がけることにしました。 一ヶ月が過ぎました。一日おきに来所するのがつらいと言っていたのに、毎日のように来所するようになっていました。でも、自分から話しかけることは、まだありません。毎日の生活にふれる話しかけをしてみました。「家では、どんなお手伝いをしているのかな」と聞くと、「何もしてない」という返事が、「お母さんが可哀想だから何か手伝おうかな」と言う返事になりました。 学習担当が「A子さんとB子さんと仲良しになろうよ」と、なげかけると、「一緒に勉強してもいいよ」と、NPOの努力に応える嬉しい返事が戻ってきました。NPOでは、渉外担当が直ちに学校へ連絡しました。学校復帰の見通しが見えたからです。 学級担任には、忙しいところ恐縮だが、「Pさんが学習しているところを参観してほしい。できれば毎週1回程度、参観してほしい」ことを伝え、了承をえました。また、Pさんが「学級に入るのは怖いけど、保健室ならいけるかも」と言う言葉に応え、養護教諭の先生にも学習参観をお願いしました。コミュニケーションの苦手なPさんには、学校の先生がNPO事務所に来て学習の様子を見てくれるのが自信に結びつきました。 NPOで一緒に勉強しているAさんとBさんは小学校の修学旅行に行かれませんでした。そのことを知ったPさんは学習担当に「日光修学旅行に行こう」と提案し、自分が小学校の時に行った日光を案内したいと言い出したのでした。 お母さんも変わろうよ Qさんは小学校2年生の9月から登校できなくなりました。お母さんの話によると、「Qは学級の皆から暴言、嫌がらせ、トイレでの閉じこめられが続きいた。グループ単位でいじめを受けた。担任に話しても何もしてくれない。」と訴えていました。 母親が児童相談所に相談したら、Qさんの「学力実態調査」を進められ、全体的に勉強の基礎が出来ていないことが判明しました。家で「国語」の勉強は教えられるが「算数」の勉強は教えられないので、NPOで教えて欲しいと願っていました。 Qさんは元気よく、毎日、NPO事務局に通って来ました。性格が明るく学習を楽しんでいました。Qさんのお母さんも毎日、NPOに来ました。お母さんはNPOの相談担当に「学校はだめだ。担任はだめだ。」と学校批判を連日、訴え続けました。 年度が替わり、Qさんは3年生になりました。学級編成換えがあり、校長先生も担任も替わりました。Qさんのお母さんは、我が子が安心して登校できるように校長先生や担任に強く要望しました。担任の声かけや校長先生の配慮に気分を良くして、Qさんは学校に戻っていったのです。 運動会がありました。子どもたちは出演しない時、児童席で応援していますが、Qさんはいませんでした。お母さんが見学席に来るように指示しているのです。親子遠足がありました。目的地のズーラシアに着くまでは、バスの中で学習する約束になっていましたが、Qさんは、お菓子やジュースを食べたり、友達に配ったりしました。お母さんが配るように命令しているのです。 Qさんは、また、不登校になりました。 NPOの相談担当は、再度、Qさんが不登校になった原因や理由について母親と話し合いをもちました。母子の分離が出来ていないような印象がありました。NPOでは、学校の校長や担任との情報交換会を持つことにしました。 NPOの相談担当は、母親や学校と別々に連絡会を持ちましたが、「母親の養育態度と自己本位な要求姿勢を和らげることが、本人の成長に必要である。そのためには、本人が学力をつけ、友達とのふれあいから学級生活に適応力をつける。母親には子どもの成長と集団生活のあり方に目をむけるようにさせる。」をNPOの基本指導方針としました。 今年の運動会を前にして、NPOと学級担任でQさんの学習の様子を情報交換し、母親との関わりについて共通理解し合いました。 後期の学習を前にして、学校、Qさんの母親、そしてNPOの相談担当の三者が話し合いをしました。まず、NPOでの学習の状況を報告し、学習時間が長くなったことがはなされました。学校での様子では、Qさんの学校生活の目標を明らかにしてきたこと等が話されました。 最後に、学校の校長先生や担任の先生の同意を得て、NPOの相談担当が「お母さんも変わろうよ」と、話しました。母親が何度も何度も首を縦に振り、了解の姿勢をしていたのが印象的でした。 「学習を通して心の安定を図る」ーー教室復帰を願って 小学校や中学校の不登校児童・生徒が話題となり、マスコミが取り上げ、学校も行政も真剣に取り組んでいるが、不登校児童・生徒数は相変わらず現象の「きざし」が見えていない状況にある。 このような状況の改善支援を図り、お世話になった学校に何らかのお礼の気持ちを表したいと考えていた川崎市内の公立学校退職者が「NPO法人教育活動総合サポートセンター」を3年前に設立した。サポートセンターの活動は文部科学省、神奈川県や川崎市の教育委員会から評価されてきた。特に文部科学省では、「不登校への対応におけるNPO等の活動に関する実践研究事業」をサポートセンターに委託した。 この程、委託事業の中間報告会が3月26日に川崎市教育会館で開催された。この報告会には、不登校児童・生徒に対応している学校の教員、不登校児童・生徒をもつ市民等が多数参加した。学校の現役教員は小学校が約60名、中学校は約70名であった。中学校は市内のほとんどの学校から教員や管理職が参加し、不登校に関する指導に関心の高さを示していた。 研究報告会では、まず、全体会が菊池理事の司会で開催された。名取専務理事が開会の挨拶を、井口理事長がNPOの活動目的が「現役の先生を支援すること、退職教員は市内学校で勤務できた感謝の気持ちを大切にして不登校対応の活動をしていること」等を中心に挨拶した。 研究報告では、佐々木事務局長理事が「NPOが考えている基本的な不登校児童・生徒への対応は学校復帰」であることを事例を通して発表した。 続いて、小学校と中学校・高校・特別支援学校の分科会に別れ、NPOが対応してきた不登校児について具体的な指導経過を報告した。分科会では参加者の関心が高く、質問や意見が途切れることなく続き、終了予定時間を超えて協議が続いた。 再び全体会に戻ったが、ここでも分科会の続きで質問や感想が数多く出された。例えば、小学校教員から、「不登校の児童に対して、心のケアと学習のケア両面からサポートしていくという姿勢に共感しました。生活指導や保護者への対応というものも考えていく必要性を感じました。学校へ適応できるよう、指導、援助を行うというサポートセンターの姿勢には大変心強い思いがしています。しかしながら、では、教師として不登校の児童に対して何が出来るかと考えると困ってしまう思いです。指導講評にもありましたが、教師は教師の出来ることを、他の立場の人の力が借りられるところは借りながら、日々子どもたちと関わっていきたいと考えさせられました。連携の方法や仕方についてお話が聞きたいとおもいました。」と述べていた。 中学校の教員からは、「今までに何人もの生徒を指導していただきました。特に、3年生は、おかげで進路も決まり、卒業していきました。学校現場が抱えている問題はかなり大きなものです。不登校の子どもについて考える場合、学校とサポートセンターでの取り組みには大きな違いがある感じました。あって良いと思います。学校とNPOで共通する点を見出したいと思います。また、学校の研修に来ていただきたい。子どもの思い、親の思いを教えていただきたい。」と語っていました。 日本女子大学の鵜飼教授から指導講評があり、田中副理事長の閉会の挨拶で終了した。 「私の背中」を押してくれてありがとう Rさんは、サポートセンターに来て、わずか1ケ月で学校復帰を果たした6年生の女の子です。 Rさんは明るく活動的な子です。5年生の時に学級内の女の子同士のトラブルが発生し、次第に人間関係がこじれてしまいました。母親はわが子であるRさんが心配になり学校へ相談に行きました。何度も出かけましたが解決策は見あたりません。次第に学級の状況も乱れてきているようでした。 母親はA区役所の教育相談室に出かけ実情を話しました。相談員の方は親切で、元教員らしく学校の状況に精通している方でした。相談をしているうちに信頼できる方だと思いました。 相談員に励まされたRさんは学校に出かけました。同じことが何度も繰り返されました。ある日、Rさんは「ママ、Rはもう学校やめさせて」と、学校生活のつらさを訴えました。その言葉を聞いた母親は、大変ショックでした。区役所の相談員にもRさんのつらい心の状況を話しました。 何度も何度も区役所に通いました。その都度、母親は気分が楽になったように思いました。しかし、「どうしても学校に行けないなら、やめさせようか。」とも、思うようになりました。 区役所の相談員に打ち明けようかと思いながら相談にいくと、母親の気持ちがわかっているのでしょうか、相談員から、「もう、この辺で休ませてあげましょう。」と言われました。母親は同じ考えを持っていましたが、そのことを言われると、とても複雑な気持ちに陥りました。 学校への相談をあきらめ、区役所へ相談に出かけて、9ケ月が経過していました。地獄のトンネルは、どこまで歩いても、走っても、出口が見つかりません。つらい毎日が過ぎ去って行きます。 そのような時、区役所の相談員さんから、「Rさん、大分、学校をお休みしてしまいましたね。勉強、大丈夫?」「不登校の子どもに暖かく接してくれるサポートセンターで勉強したら?」「サポートセンターには、私がよく知っている先生が大勢いるので紹介してあげましょうか。」と、丁寧に話してくれました。 数日後、サポートセンターを訪ねました。Rさんはサポートセンターで大勢の先生に勉強を教えてもらいました。学習指導しながら、どの先生も温かく励ましてくれました。数日で学習意欲が喚起されました。やがて、学校に復帰できたのです。 Rさんの母親から感謝の手紙が届いています。 前文省略 サポートセンターで、B先生にお会いしました。理由は違いますが、同じ経験をされたB先生のあの時のお話や、先生の表情は、私にとても強い力を与えてくれました。お話を済ませ、サポートセンターのドアを開けて外に出た時に、心がとても軽くなった事、忘れられません。先生とお話した時に、私の気持ちの切り替えができたように思えました。 ただ、日が経つにつれて、勉強も遅れてしまわないだろうか、同年代の子ども達とも関われない。誰かに会ってしまう不安で溝の口までも行かれず、このままでよいだろうかと、主人と話し合っていましたが、どれもやってみなくてはわかりません。 そんなとき、またB先生が私の背中を押してくれましたよね。とても、感謝しています。 途中、省略 今年はRさんも学校へ登校できるようになり、今まで何年も咲かなかったシンビジュウムが十数本咲いたりと、やっと暗いトンネルから出口が見えてきました。 こんなことがなければ、B先生ともお会いする事はなかったことでしょうね。この出会いを大切にしたいと思います。 後略 |
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