海を渡った日本文化 ワシントン浮世絵名品展
砂子の里資料館館長  斎藤文夫

ワシントン展開催の経緯
 昨年9月、ニューヨーク・メトロポリタン美術館関係者から、アメリカでの開催を薦められた。
 ちょうど、今年は終戦60年。当時を知る日本人にとっては色々な意味で節目の年であり、また近隣諸国とギクシャクする問題を抱える昨今、日米関係の更なる発展を期すべき時であり、しかも150年前、ペリー提督が八艘の艦隊を率いて横浜に上陸、神奈川条約を締結し4年後の1859年、300年来の鎖国を解いて開港し、近代日本の1ページが開かれた歴史的記念の年でもある。
 この時にワシントンで「浮世絵展」を開催することは、日本文化の紹介のみならず川崎市をPRする機会と考え、5月〜7月、日本大使館と共催で、付属の日本情報文化センターで開催することにした。


砂子の里資料館の全景

 開催に向けての準備
 費用のほとんどが当方もちだけに、実施には相当な決意を要したが、幸い稲毛神社宮司・市川緋佐麿氏が実行委員長をかって出ていただき、小田原報徳神社草山宮司が呼応され、有志に浄財を呼びかけてくれた。汗の出る思いであったが、予想以上のご芳志を各方面からいただき、実現出来たことに感謝している。
 本年1月、専門家たちにより、肉筆画40点・浮世絵220点、合計260点もの出品が決まった。
 展覧会用のポスター、チラシ、図録のデザインはメトロポリタン美術館・土井信一氏が担当。本県ゆかりの北斎「神奈川沖浪裏」がデザイン化されたが、アメリカでは ビッグ・ウェーブとしてよく知られ、大好評だった。
 また無料配布とはいえ、立派な英文図録は展覧会の権威を高めた。
 美術品の海外移送は初めての経験で、いろいろ苦労した。
 まず文化庁に「非重要文化財証明」を申請しなければならず、手間のかかる仕事だった。専門家による一点ごとの鑑定照明に基づき、保険をかけるが、アメリカは9・11事件以来戦時加算保険で割高であった。
 さらに頭を抱えたのは関税問題で、田中和徳外務政務官の紹介で、河相北米局長・山崎課長に依頼し、在アメリカ大使館と国務省に特別の口上書を提出してもらい、関税問題の不安を解決してもらった。
 4月上旬、図録、ポスター、チラシ、川崎関係資料を、5月上旬、作品を日通美術部を通して送り出したが娘を嫁に出す心境とはこんなかと思った。


ワシントンの日本大使館に到着した一行

オープニングに向け会場設営
5月16日、全日空直行便でワシントンに到着。浮世絵展用に改装された日本大使館付属広報文化センターへ向かい、さっそく展示の準備に取りかかった。
 小田原報徳二宮神社・草山宮司夫妻、稲毛神社・市川夫人、阿部石材社長、内村美術社長、久保田北斎研究者、川崎市交通安全対策協議会会長・恒川憲司氏の息女・泰子さん、2カ月ワシントンに滞在する市川峰子さん、私の秘書・渡嶋啓子さんたちが日本から送った浮世絵や現地調達の額縁の点検や額入れ作業を進め、一日400ドルの現地大工の協力もあり、18日には前期展の肉筆18点、浮世絵105点の準備が完了した。
 JICCの地下会場の大ウィンドーには浮世絵展のディスプレーパネルが飾られ、その一角には三輪晃久光先生の川崎の写真、観光協会の英文ポスターなども掲示された。
 また会場の大画面TVでは「浮世絵の出来るまで」や川崎・神奈川紹介のDVDを上映する手はずも整った。


展示会場(前期の部)

大使館始まって以来の大盛況

 5月19日午後6時、招待客が続々と来場した。外交官、文化人、フリアーなどの美術館関係者、報道、ボルチモア関係、日米協会など300名。出迎えの日本側は川崎市民55名、小田原17名。そのうち50名の婦人たちが「きもの」姿で華麗な日本の伝統美を披露。ワシントンの人たちの目をうばった。
 またこのパーティに二宮神社の料理長が現地で腕を振って作った日本料理を提供、鶴ケ岡八幡宮の楽人による雅楽も演奏され、日本文化の粋を紹介できたことも、今回の快挙であった。
 私も羽織・袴姿で40分間、記念講演をした。


大盛況だったオープニング会場

笑いと拍手の渦 大成功のスピーチ

 山本特命全権公使の歓迎あいさつに続き、私が砂子の里資料館設立と浮世絵収集の経緯など、スライドを使って講演した。特に冒頭英語によるジョーク交じりのスピーチは大受けした。
 「近代産業都市・川崎を紹介したあと、世界を旅して川崎から来たと言うと、多くの人が「カワサキ」を知っており、うれしいと思い、よく聞くと私を有名なモーターバイクのセールスマンと思っていたと知り、大変がっかりした。(笑いと拍手)
 ワシントンはアメリカの首都であり、初代大統領の名もワシントン。最近日本のサッカー界で、ブラジルから来たワシントン選手が活躍しており、日本ではワシントンの名は知れわたっている。その世界のワシントンで展覧会ができたことは、この上ない名誉です。
 今から150年前ペリー提督が八隻(そう)の舟を率いて横浜に上陸、神奈川条約を締結し4年後の1859年に横浜が開港、300年の鎖国が解かれ、日本近代化の一ページが始まった歴史的記念の年であり、この時に展覧会が開催されたことは、私の大きな喜びである。
 ところで英語のスピーチで大変疲れたのでこれからは日本語で…」(笑いと大拍手)
 特訓したとはいえ、ジェスチャー入りのスピーチは、我ながら堂々たるもので大好評だった。特に川崎市をPRできたことは、特にうれしかった。

ボルチモア市を正式に訪問
 5月20日、私たちのヒルトン・ホテルでブッシュ大統領の朝食会があり、禁足状態となり一時間遅れで、豪雨の中を姉妹都市ボルチモアへ向かった。
 小型ながらドームのある美しい市庁舎の市長応接室で、不在のオマリー市長にかわりビショップ首席補佐官が出迎え、51名の訪問団を代表して、私から訪問主旨と阿部川崎市長の親書を、三輪晃久文化大使より記念品を贈呈する。
 ボルチモアからは川崎市が贈った大灯篭(とうろう)のパネル、三輪大使と私に名誉市民証が贈られた。
 記念撮影ののち、庁内を視察、人口64万人で議員15名。議場の傍聴席と議員席は真鋳(しんちゅう)のパイプ一本の仕切り。市民と議会のあり方を表徴しているようだ。
 やや小降りになった街を、特別にオープンしてもらった料理学校経営のレストラン・アトランティック・ベイ・クラブで昼食会。ボルチモア側十名を招待したが、先方は飲物や楽団をサービスしてくれた。


ボルチモア市庁舎のドーム・ホールで訪問団一行

市民代表と意見交換
 別棟のボルチモア開発局の会議場で、ペンチェック文化遺産協会理事長、ハラガン文化連盟専務理事、グリッカー・ボルチモア交響楽団総裁、ヘインズ観光協会行政業務副総裁、クラッチ・ボルチモア港関係者、ベガ・ボルチモア市文化芸術推進課長が出席。川崎市交流推進課小山佳男氏の司会で意見交換が行われた。
 三輪文化大使が熱っぽく川崎を語り、私は川崎市の観光や港湾、市川緋佐麿宮司はミューザ川崎と音楽交流、宮下優一美術協会理事長より美術交流、酒井靖恵区文化協会会長や中村紀美子若宮宮司は文化交流、港振興会庄司雷達氏よりポート・セールなど、それぞれ意見を述べ、先方も現状や将来への交流協力が語られ、意義ある会合だった。
 雨もあがり、やや肌寒い感じだったが、ボルチモア再生の切り札となったウォーター・フロント開発の目玉、水族館を市の案内で見学、得るところ大であった。
 その対岸。海に面した一角に川崎市が贈った大灯篭が、木立に囲まれて美しくたっている。その前で姉妹都市締結に奔走したドクター中沢氏の苦労話に耳を傾け、全員で記念写真を撮り、その労を謝した。


ボルチモア関係者と訪問団との意見交換会(通訳は恒川憲司氏の令嬢)

ニューヨーク経由で無事帰国
 翌21日早朝、空路ニューヨークへ向かう。
 9・11テロ事件以来、空港の警備は厳しく、入国にはビザはいらないが、指紋や目の虹彩をとられ、目的・滞在日数など質問される。カバンの鍵はかけたらこわされる。上着・靴をぬいでレントゲン検査、厳しくても安全に対する信頼感は大きい。
 マンハッタン最南端のバッテリー公園から自由の女神を臨み、多大の犠牲者を出した国際貿易センタービル跡のグランドゼロや、フルトン魚市場の再開発を訪ね、国連前を通ってホテルに入った。夜はタイムズ・スクエアの繁盛している「ババ・ガンプ」で食事。三々五々繁華街を散策する。
 最終日の午前中はメトロポリタン美術館を見学。午後はメイシー百貨店でショッピング。
 夜は、「寿司田」を借り切り、小田原グループ一行と合流、安藤裕康ニューヨーク大使(小田原出身)や、メトロポリタン土肥信一氏を招待して、総勢80名のにぎやかなさよならパーティを開催した。
 私はワシントンに戻ったが、一行はハードなスケジュールであったが、全員事故もなく、文化使節の役割を立派にはたし、すばらしい思い出を胸に無事帰国した。

ワシントン展 後期展はじまる
 6月17日の後期展のため、14日ワシントンに到着した。今回は記念講演の新藤茂先生、国立東京博物館の立道・遠藤両氏、内村美術、市川宮司夫妻、二宮神社草山夫人が同行してくれた。
 同日夕刻、シカゴの国際ロータリークラブ大会に出席する中村近宏氏、長戸はるみ氏、覚生夫妻ら7人が、会場を訪問してくれた。その友情に心から感謝した。
 翌15日、全員で作品入れ替え作業を行い、掛軸20点・浮世絵113点を、16日午前中ですべて飾り終えた。
 オープニングの17日午前、フリアー美術館の東洋美術担当アン・米村女史を訪ね、未公開浮世絵を拝見したが、私の展覧会のレベルの高いことを絶賛してくれた。
 午後6時、いよいよ後期オープニングを迎えたが、前回にまさる盛況で、国文学研究資料館客員助教授・新藤茂先生の一時間におよぶ講演「浮世絵の魅力」は立ち見も出る満席の聴衆を魅了した。
 本展覧会については、ワシントン・ポスト紙ほか各紙にたびたび報道され、質の高い一級の作品が身近に鑑賞できると評価され、またフリアー美術館、フリップス美術館関係者からも賛辞が送られた。


日本大使館を表敬訪問

質の高い観客
 たしかに肉筆画を仕切りなく手に取るように鑑賞できる展覧会はない。それでもまったく事故のなかったことは、観客のレベルの高さを示していると思った。それだけに掛軸表装についての質問が寄せられたが、日本文化の美的表現の一つであるので、説明に力が入った。
 また、外国人は浮世絵を所有することに誇りを持っており、作者・作品に対する研究理解の深いことに驚いた。
 無料配布の図録2300部の英文パンフレットも最終日には一部も残らなかった。
 ワシントンは首都とはいえ、ニューヨークと違い静かな都市であり、日本からの本格的展覧会は少ない。その中で本展が大使館始まって以来の大盛況だったことは、主催者として大きな喜びであった。

二度目の誕生日と川崎市議の訪問
 7月11日は私の喜寿の誕生日で、朝、家内に「おめでとう」と見送られ、同日昼ワシントン到着。撤収のため渡米してくれた報徳二宮神社草山宮司夫妻・稲毛神社市川宮司夫人から「おめでとう」と歓迎され、日米両国にまたがり、生涯はじめて二度の誕生日を迎えられたことは、特別うれしかった。
 夜ジョージ・タウンの有名なレストラン「フィロメナ」でイチゴで埋った大バースデー・ケーキを贈られ、至福の時を過ごした。
 なお、この日の夕刻、ボルチモアから川崎市議九名、長瀬政義団長、坂本茂前議長、佐藤忠前副議長、平子瀧夫公明党団長らが会場に駆けつけてくれた。大使館からは北野公使が出迎え、アメリカ事情を説明してくれた。
 5月には、かつて大使館に勤務していた横山正人横浜市議が、わざわざ来てくれたが、このように異国で知人・友人に出会うことは身に沁みて嬉しいものだ。


会場を訪れた川崎市議団の一行

思い出深いワシントン展
 7月13日、全作品を日通ワシントン支店に引き渡しホッと肩の荷を下ろした。
 その夜、特に現場で協力してくれた中房書記官や女子職員らを招待して、「さよなら・パーティ」を催したが、別れがたい思いであった。
 加藤特命全権大使も来場され、大使館始まって以来の大展覧会に、喜んでおられた。
 結びにあたり、ご後援くださった皆さまやスポンサーに感謝いたすと共に、二ヵ月間、ワシントンに滞在し頑張った市川峰子・渡辺啓子両嬢には、特に謝意を表したい。
 私も毎月ワシントンに通い、事故なく帰国できたことは、神助によるものと感謝している。      (おわり)


 9月17日(土)〜10月16日(日)、川崎市中原区等々力の川崎市市民ミュージアムで「ワシントン帰国展」が開催されました。  

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